祖母





    656 :2016/08/06(土) 00:01:58ID:O9Z
    昨年の暮れに会ったときは元気だった祖母がボケ始め、数か月で一気に認知症が進行し、
    母の友人のツテで特別養護老人ホームに入ることになった。

    4月くらいに実家に帰った際、祖母と同居していた両親とホームに面会に行ったら、
    祖母は俺の顔も名前も覚えてなかった。

    幼い頃から可愛がってもらっていたのですごくショックだったが、
    今までずっと家で農作業や家事を気張ってやっていた分、
    これからはホームで悠々自適に過ごして欲しいと思うようにした。

    それからしばらくして、仕事中に違和感を感じることが多くなった。

    毎日書いているはずの書類に書く言葉が出てこない。
    いつもは電卓など使わずに計算してる計算ができない。
    毎日顔を合わせているはずの同僚の名前が出てこない。
    引継ぎで言うべきことがわからない。
    引き継がれたことが覚えられない。

    そんな状態が一週間くらい続き、仕事でミスが増えた。
    祖母のことがあまりにショックで、自分が思うよりもずっと精神的に疲れてるんだろうと思い、
    数日間有休をとって実家に帰った。

    続きます





    156 :名無しさん@おーぷん
    もう10数年前だが、祖母が新聞紙に包まれてた重い何かを私に渡して、
    「絶対みんなにバレないようにあなたが隠して持ってなさい。私がタヒんだらそれを持ってこの家
    を出なさい。必ず大事に使いなさい、この家にもう戻ってはいけないよ」と言った。

    この時私は高校出て、家事と寝たきりの祖母の介護をしてた。夜の介護も私なので同室。
    大学は「馬鹿だから行くな」と親に言われた。
    子供の頃から塾に通っていい大学に行った兄に比べれば、私は塾も習い事も行ったことない
    馬鹿なので、しょうがないなと思ってた。
    兄の習い事での表彰状が家じゅうに貼ってあった。羨ましかったけど、「お前には引っくり返っても
    貰えないよ」と祖母以外のみんなに言われて育ってたので、そうなんだなと思った。

    祖母は「○○ちゃん(私)だって賢い子だよ」と言ってくれたが、家の中で病気がちな祖母の発言は弱かった。
    家は会社人間の父と、趣味と社交に没頭する母、出来る兄と、奴隷要員の私と、ガンの手術と再発を繰り返
    してる祖母の5人暮らしだった。

    祖母は冒頭の会話の二年後、最後のガン手術から結局回復しないまま心不全で他界した。
    祖母の部屋からは手術前に残した手紙が見つかって、
    「数年前○○会社の○○と名乗る男性.のつまらない投資詐欺に騙されて、お父さん(祖父)から相続
    した貯金をほとんど無くしてしまいました。恥ずかしくて今まで隠してました。ごめんね」
    という内容だった。

    両親と兄は「介護までしたのに!恩知らずのババアが!!」と大激怒。
    私はただ泣いていた。

    祖母の介護がなくなったので、私は家を出ることにした。
    両親は「家事はどうするんだ」と怒ってたけど、結局は「高卒出のバイト暮らしなんて、
    すぐ立ち行かなくなるぞ」「週末は家事しに戻ってこい」と言って送り出してくれた。

    それが両親の顔を見た最後。兄の顔見た最後はいつだったか。全然思いだせない。
    祖母から預かった新聞紙の包みの中身は知ってた。
    アパート借りる保証人になってもらう時親に見せた住所は偽物。
    遅くなったけど専門学校に入り資格を取り就職、その後縁あって結婚も出来た。

    祖母のお金は入学金とバイトが見つかるまでの生活費にしか使わず、結局まだほとんどが金庫に
    残っている。
    これがあれば何も怖くないよと、いつも祖母が背中を押してくれてるような気がしてる。

    贈与税とか色々ダーティーなお金なのでスレタイ。





    987 :名無しさん@HOME2006/05/08(月) 13:11:53
    よくある話かもしれないけど。
    近所に住む祖母と仲良しのばぁさんが、祖父の愛人で私の実の祖母だった。
    ばぁさんは父を産んだが、跡取りに恵まれないという理由で本宅に奪われたらしい。戸籍上は実子として届けられたみたい。
    たまたま耳に入った会話で知った事なので、このまま知らない事にしようと思う。
    私の出産の時にそのばぁさんが病院にまで来たのを正直ウザイと思ったけど、曾孫の顔なら見たいよね…





    838:名無しさん@HOME投稿日:2012/05/29(火) 11:26:51.66
    うちの母も、兄の単身赴任中に私が家に引き取った。
    姪からおばあちゃんを助けてって電話があって、半年振りに兄の家を訪ねたら、
    母がぐったり衰弱してた。
    すぐに入院させ、退院後は少しの荷物と一緒にうちに連れて帰った。
    兄嫁は、姪がおばあちゃん子だったので、表面上は普通に母に接してたが、
    姪が大学に入り家を出たとたん、イビリ始めたみたい。
    姪が不安になって帰省してくれて良かった。そうでなければ
    『よくある老人の熱中症によるタヒ亡』で片づけられていたかも。
    兄は何も知らないと言ってるが嘘だと思う。
    姪「ばあちゃんを部屋に閉じ込めて食事もさせなかった!」
    兄嫁「私は何もしてない。姑が勝手に部屋に閉じこもっただけ!」
    姪「ばあちゃんの荷物を勝手に捨てたやろ?」
    兄嫁「知らない。ボケが始まったから自分で捨てて覚えてないのでは?」
    妻と娘の、こんなやりとりを聞きながらテレビ観てる人だし。
    母は元気になった。
    姪が時々母に会いに来てくれて、それだけは有難い。





    57:名無しさん@おーぷん2014/12/24(水)10:33:48ID:PVy
    私の父だった人はキングオブ屑だと思う。
    私の父方祖母は要介護で、
    母が隅から隅まできっちり介護してた。

    私や弟の前では言わないが、
    祖母は母にちくちく文句ばかり言って相当困らせていたと思う。

    父は母に介護を丸投げで、
    その日に祖母が何を食べたかすら知らない。

    私は当時小学生ながら、
    父は仕事が忙しく帰りが遅いから
    仕方がないのかなと思ってたし弟もそう思ってた。

    私や弟が母を手伝おうとすると
    祖母が子供にやらせるんじゃない!と怒鳴ってた。

    母は痩せ、笑わなくなり、
    私や弟が学校で何か賞を取っても笑顔を見せなくなった。
    私が中学生になったころに祖母はタヒんだ。

    介護の手間がなくなりほっとした頃に、
    父が記入済みの離婚届を渡してきた。私や弟がいる前で。

    まさに青天の霹靂で母は呆然。
    なんで?どうして?を繰り返してたのを覚えている。

    飯もまともに作らないし
    掃除も介護前よりレベルが下がった。
    俺が求めてもお前は疲れたと言って拒否。だから離婚したいんだと。





    81:おさかなくわえた名無しさん2006/09/15(金) 19:25:42

    211 :おさかなくわえた名無しさん :2006/09/15(金) 03:12:12 ID:gpSC9hAQ
    3年ほど前、当時の彼氏の浮気を責めたら逆ギレされて暴力を振るわれた。
    その頃私は大学生をしつつ、事務所に所属してモデルのバイトをしていたので
    顔だけは何とか防御しようとしたけど、それを見越した彼に靴を履いたままの足で散々踏まれて
    蹴られた。「手は出してない、足だよ足w」なんて笑いながら。
    幸い、顔に傷は残らなかったし(本当にラッキーだった)当時はショックで訴える気力もなかったので
    身内の弁護士の勧めも断って告訴はしなかった。
    そんな私を見た祖母が「法で裁かれなくても、いつかその男には報いがくるよ。絶対くるよ。私が許さないから。
    だからあなたは自分が幸せになることだけを考えなさい」と言ってくれた。
    お陰で私は何となく気持ちが楽になって、学生生活もモデルの仕事も恋愛もまた楽しめるようになった。
    そんな祖母が亡くなったのが去年の春先。

    そして最近、友達のお見舞いに行った病院でたまたま再会した暴力元彼は
    顔面マヒ&右足切断になっていた。ホントに絶句した。去年の夏に交通事故で・・・だって。
    「顔」は、彼が執拗に攻めた場所。「右足」は私の顔を何度も踏みつけ、蹴った場所。
    ざまあみろとかいう気持ちなんて全然湧かなくて、ただただ怖くなった。
    彼は当時のことを謝罪してくれたけど、気持ちが全く晴れなかった。
    ネタみたいだけど、本当の話。祖母が祟ったんじゃありませんように。





    687:名無しの心子知らず投稿日:2009/04/01(水) 09:54:08ID:lZ7mvKPz
    ウチのおばあちゃんの家も、畑と山があるんだけど、農作物目当てに
    新興住宅のセコケチが沸いてくる。
    畑をしているだけで「素朴な」「気のいい」「でも、寂しがりやの」おばあちゃんと勘違いしているセコケチ。
    「おばあちゃん」とベチャベチャ甘く呼びかけられて気色悪いと話していたが、ある程度あしらっていたようだ。
    もちろん、何もやらない。そこにいるのは勝手だから、しゃべらすだけしゃべらせて絶対あげないんだって。

    私が遊びに行ったときに、おばあちゃんに言われて畑ですいかを採っていたら、
    見知らぬ子供が、「泥棒!」って言ってくる。
    まもなく、セコケチがやってきた。
    「ちょっと、あんたウチの畑で何しているの?」
    ウチの畑??
    「ほんと、油断も隙もないわね~。通報してもいいけど、採った物は仕方がないから売ってあげる
    3千円でいいわよ。」と手を出してくる。
    「いや、ここウチのおばあちゃんの畑なんだけど。なんであなたにお金払わなくちゃいけないの?
    というか、あなたのやっていることが通報されることじゃないの?」
    手を出したままセコケチ固まりました。
    それで、そのあと出した手でバンバン私の肩をたたきながら
    「や~ね!ジョークよ!ジョーク!!泥棒が多いから気をつけてみてただけよ~」
    もちろん、おばあちゃんとおじにチクリました。
    セコケチの被害はなかったようだけど、付き合いがないから村八分の対象外なんだって。
    それ以来、おばあちゃんはセコケチを徹底的に無視したから、来なくなったって。

    盗難防止に一番効くのが、「農薬または劇薬散布中」の札。
    ほしいといったらあげようと思ったけど、盗むのは許せないって。
    通報するって書いても大丈夫と思うドロは多いよ。
    本当に、通報するのにね。





    599:1/32011/02/14(月) 17:56:54 0
    私の義理の母(父の後妻)のDQ返し。すれ違いだったらごめん。

    父は実母と別れたあと後妻と再婚。
    一人っ子の当時園児だった私は父に引き取られたが、
    この後妻が意味も無く大嫌いで、同じく後妻が大嫌いな父方の祖母(同居)と
    手を組むようにしていびっていた。
    例えば、運動会にお弁当を作ってきてくれる→祖母がこっそりと虫のおもちゃを仕込む
    →ふたを開けてそれを見つける→私キレて弁当をグランドにぶちまける→
    後妻が意地悪をして虫の入った弁当を持ってきたと大泣き→
    近所のおばさんに同情され、お昼を分けてもらう…
    などをはじめ、かなり陰湿ないじめをしていたと思う。
    だけど夫婦仲はよく、後に後妻は妊娠した、
    すると今度は祖母が私に「父と後妻は子供が生まれたら(私)を追い出すに違いない
    それを回避するためにも後妻をタイミングよく階段から突き落とせ」と言い含めた。
    真に受けた私は何度か試みるもさすがに人を突き落とす行為がこわくて
    (家の階段ははしごに近いような急勾配&古い家なので1階の天井が高い&踊り場が無い)
    どうにも実行できずにいた。
    また、その頃友人の家に赤ちゃんができて、その小ささや柔らかくてかわいらしさに
    ノックアウトされ、こんな赤ちゃんがうちにも来るんだと思ってた事も大きい。
    すると祖母は私を呼び、「このままじゃおまえはここにいられなくなる。
    おばあちゃんの言う事を聞かない子はおばあちゃんも大嫌いだ、
    公園の人たち(ホームレス)のように、汚い格好でゴミをあさることになるよ」と脅された。





    439:名無しさん@HOME2014/02/07(金) 08:25:25.91 0
    この間、祖母の法事があったんだけど
    義兄嫁がアホみたいに飲んで飲んで酔っ払って
    「こらブス、こっちにきて酌せーい!」と私を呼びつけた。
    義兄嫁は太ってて正座ができないので、最初は女座りしてたけど
    酔っ払ってだんだん胡坐になってパンツ丸見え。
    なので「お義兄嫁さん、見えてるよ」って注意しても
    「あーん?ブスが何か言ってるーーー」って気が付かない。
    なので大き目のハンドタオルを膝に掛けてあげると
    「ブス専用タオルいらねーーーー」とか。
    義兄は向うで伯父さんたちと盛り上がってるし、
    近くにいる義従姉妹や伯母たちは苦笑してるし、
    私も恥ずかしいから離れようとすると
    「こらブス、逃げんな!」と首根っこを掴まれた。
    その後も自作の<ブスの歌>を歌われるし
    とにかくみんなの前でブスブスブスブス言われた。
    確かに私はブスだけど、人前でそんなに何度も言われると傷つくし腹も立つ。
    で「もーーーいい加減にしてよデブ」って言ってやった。

    で、昨日のこと。
    夫から「おまえ義兄嫁さんにデブって言ったんだって?失礼だぞ」って言われた。
    義兄嫁が傷ついてるって義兄から言われたらしい。
    ええええええ!!!そこだけ覚えてるの???
    デブ恐るべし。





    479 :名無しさん@おーぷん
    無人のようなのでまったり書き込みます。

    高校生のとき、ひと月の間に両親を相次いで亡くして喪主二回やったのが修羅場。

    母親は先天的な心臓の欠陥からくる虚弱で、入退院を繰り返している人だった。
    普通のサラリーマン家庭で育ったが、友達のように「じーちゃん」と「ばーちゃん」はいなかった。

    推薦で大学が決まってボチボチ車の免許を取ろうとしていた時期に父が車の事故で他界した。
    訃報を聞くなり母が卒倒。救急車で病院に運ばれそのまま入院した。
    「祖父母」という存在がいなかったように、「親戚」もいなかったから自動的に喪主をやることに。

    父の勤め先をはじめとした周辺への連絡、火葬の許可など、何から着手していいのかわからないままご近所さんたちの知恵と手を借りてどうにか通夜にこぎつけた。
    喪主の席で坊さんの背中を見ながら思ったのは、「坊さんもタダじゃ経をあげてくれないんだなー」ということ。

    預金の名義が父になっていたことから、父が亡くなったことで凍結。
    相続の手続(?)が住むまで下せなくなっていて、葬式代の工面に大わらわした。
    (大学進学を機に一人暮らしする予定だったので、両親があらかじめ私名義で積立をしてくれていたので、そこから支払った)

    ここまでが第一の修羅場。

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