思い出





    674 :名無しさん@おーぷん 2017/11/23(木) 18:36:32 ID:Yo1
    私がまだ5~6歳の頃だったかな?
    幼稚園が長期休みになると必ず田舎の祖父のとこに泊まりに行ってた。
    自宅あたりでは出来ないような遊び(木登りとか裏山探検)が出来るからすごく好きだったなぁ。
    ある時、祖父宅の近くにある竹やぶを探検してたら奥の方に犬を発見。
    「わんこかわえええええ!」とズンズン進んでってわんこまであと少しってとこで突然ジャラジャラジャラ!!!ってすごい音(後でわかったけど祖父の山登り杖の鈴の音だった)がして私はびっくり、わんこは逃げていってしまった。
    そしたらいつのまにかいた祖父が慌てて私を抱き上げて家までダッシュ。
    1人で山や竹やぶに行っちゃいかんって言ったやろ!!ってしこたま叱られた。
    その時はなんであんなに怒られたかわかんなかったけど、私がわんこだと思ってたのってウリ坊だったんだよね。
    ウリ坊の近くには必ず親がいるってのをそれで学んだ。





    152 :あなたのうしろにニャジローが… 2001/02/25(日) 11:33:00
    …大した事無いと思ったんだが、少しいいかな。 

    12年前、近所の社の祭りで、ヒヨコ釣ったんだわ。 
    体が歪んでて、ちっと畸形(すまんな)が入ってた。 
    それでも懸命に俺の後ついてくる姿がいじらしくて、 
    さんざっぱら可愛がって甘やかして育てた。 
    俺が学校から帰ってくるとすぐに膝の上乗ってきてさ、 
    うとうとしだすんだよな。 
    でもな。寿命ってあるんだよな。どんなヤツにもさ。 
    冷たくなってくアイツ抱えて、すっげぇ泣いたよ。 
    でも、月日が流れると忘れるんだよな。忙しさなんかに負けて。 
    その頃仕事で散々悩んでて、精神的に切羽詰ってた。限界が来ていたんだと思う。 
    ある日、熱出して寝込んでいたら、胸の上に軽い重みがかかってさ。 
    それと同時にぺったりと何かが喉にへばりつくんだよ。 
    瞬間思い出せた。アイツの重みと鶏冠の感触。甘えるようにいつも 
    そうやって俺の上に乗ってきていたヤツの重みだ。変わってるだろ? 
    涙が止まらなかった。そんなに心配かけてたのかと思うと。 
    俺は思い切って転職した。今、別の会社で頑張ってる。 

    多分に幻覚だと思う。けっこう熱が高かったから。 
    それでも俺はもう忘れない。変り種の相棒の事だけは。





    283 :名無しさん@おーぷん
    秋のよく晴れた日になると思い出す。

    3歳の秋の日、母が朝からおにぎりを作ってくれて、「お出かけしよう」と言って電車に乗って遠くに行った。
    行き先は山も海も見える田舎町だった。
    真っ白い堤防のようなところで、母がベンチに座らせて、「ちょっとお母さん飲み物買ってくるから待っててね」と言った。
    ベンチにお弁当と水筒と上着を置いた。

    「わかった、ママありがとう。バイバイね」と言ったら、母は顔をそむけて走るように去って行った。
    私はぼんやり座ってた。山はまだらに赤くて、空にはトンビが飛んでた。
    しばらくして母は戻って来て、無言で一緒に弁当を食べて家に戻った。

    成人して家を出て行くという日に、母はあの日の話をして、「あなたを捨てようとしてごめんなさい」と詫びた。
    私は当時気付いてなかったふりをしたけど、勿論気付いてた。
    それどころか、母があんまりに私の存在を疎んでるのを知ってて、大好きな母が楽になるならそれでいいと思ってた。
    寂しいけどこれもしょうがないことなのだな、と。
    捨てられた私は次はどこに行くんだろうとボンヤリ考えてた。

    去年結婚して、結婚式には両親も出席した。
    私を捨てようとした母と、他人にむやみに金貸すのが趣味で散々妻子を苦しめた父。
    私も順調なら年末に初めて親になる。
    出来れば良い親になりたい。





    190 :名無しさん@おーぷん
    職場の話。
    先代の工場長は無茶苦茶だった。
    まずケチ。経費の使用をまるでそれが自分の金であるかのように渋り、
    必要不可欠な備品の購入すらなかなか許可を出さない。
    パワハラは当たり前。少しでも逆らうと嫌なら辞めろ。通院したいと残業を拒めば人格否定。
    ある先輩などは新婚旅行明けに出社したら真顔で辞めたかと思ったと言われ、数か月閑職に追いやられネチネチ言われ続けたそうだ。
    当然蛇蝎の如く嫌われていた。
    また職場のパソコンでエ□動画を見ていることも周知の事実だった。
    対して今の工場長は慕う人が多く、皆一刻も早い先代の退陣を望んでいた。
    俺は下っ端すぎて関わりがなくさして興味もなかった。
    でもある時、喫煙所で先代と営業部長、俺の3人になった。残業が多い時期で営業部長も応援に狩り出され、すこぶる機嫌が悪かった。
    (うちは営業は残業代0 工場は満額支給)
    営業部長が俺に、お前昼飯の時2台機械見てるだろと聞いてきた。たしかに俺の部署は昼休み1時間のみそうしている。はいと返すと、
    じゃあ忙しいときは1人で一日やれるよなと悪魔の笑み。
    答えあぐねて先代を見るとこちらも悪魔の笑み。終わったと思ったら営業部長に一言、おまえこいつを辞めさせたいのか。
    営業部長は狼狽してそんなこと一言もとしどろもどろ。先代は更にお前の言葉は業務命令になる。それに逆らったら辞めさせるのがうちのやり方だろと追撃。
    嫌な沈黙が流れた(俺としてはやりこめられた営業部長が可笑しくてしょうがなかったがw)
    先代はぼそっと、一日2台なんかかわいそうでやらせられるかと呟いた。
    営業部長は残業代のことを持ち出していたが、面接で説明受けたはずだしそれを補う営業手当だと一蹴された。
    それ以来俺は先代が意外とはいい上司なのではと思うようになった。
    少し前に先代が去って1年が経った。
    今の工場長になって変わったのは備品購入が楽になったのと、工場への風当たり。
    前者はありがたいが、どんなに些細なミスでも始末書を書かされ、それによる給料の査定も厳格になった。
    しかし時折聞こえてくる営業や他の事務方のミスで始末書が出たという話はついぞ聞いたことがない。
    気になって若いのに聞いたら全て上司が握りつぶしているとのこと。
    以前ミスで先代に怒鳴り散らされたのを思い出した。工場に響き渡るような怒声で杀殳されるんじゃないかと思ったくらいだ。それでも始末書は求められなかった。
    営業は無茶苦茶な納期の注文を以前にもまして取り、またろくに利益も出ない細かい注文も増えた。その切り替えで現場は慌ただしくなりミスが増え始末書が舞う。
    また生産量の明確でない注文もじゃんじゃん入ってきて、これが一番始末に負えない。足らなければ朝まででもやらされ、
    余ればロスを出したと工場のせいにされて朝礼で吊し上げを食らうこともある。
    今の工場長は怒鳴らないしパワハラもないが、経営陣と一緒になって営業や事務方が工場のミスを責めると若手の実力不足だと嘆いてみせる。
    だんだん皆の心が離れていき、やっぱりと思いつつも早すぎだろと引いていた。
    泣かされた女性社員、新婚旅行の件の先輩までもが先代の時代を懐かしむようになった。
    そしてこないだ一番先代を嫌い今の工場長を待望していた人が、悔しそうにあの頃は良かったと言った。
    その人以外はもう皆もう当たり前のように先代の頃が良かったと言っていたので、ついに今の工場長はまったく支持を失ったことになる。もちろん下っ端の支持なんてなくてもいいだろうがw
    たった1年で・・・というのが衝撃。





    620: 1 2005/07/19(火) 05:13:49 ID:rbbbGVmc
    んじゃ、俺の高校時代の話をひとつ 俺が高校一年の時、なんか周りとは打ち解けずにクラスでハブられていた。いわゆる幽霊のような存在 だ。いてもいなくてもいい、存在感の無いキャラだった。友達も恋人もいなかった。用事がなければ 誰も俺には話し掛けてはこなかった。しかし、3学期のある日、俺に話し掛けてきた男子クラスメート (以後Aとしよう)がいた。Aとは席替えで、たまたま俺の前になり授業中に話し掛けてきたのだ。正直、 何故今更俺と会話するのか疑問に思った。Aはクラスでは人気がある方で、友人も多く、いつも教室で 騒いでいた。俺は、そんなAを時々周りから見ていた。まぁ、考えてみれば話す機会が無かっただけで、 Aの性.から、俺なんかにも分け隔てなく話し掛けてきたのだろうと、その場は納得した。そして、時 間が合えば、一緒に下校するようになり、学校ではAはずっと俺につきっきりになっていた(念のため に言っておくが、俺も男でAはゲ/イではない。BLとか期待してた人はスマソ)。俺とAが連れ(友達)に なって2週間ほど経ったある日、Aが学校を休んだ。そして、今まで俺の心に引っかかっていたモノが 明らかになった・・・





    924:名無しさん@おーぷん2016/05/08(日)17:02:14ID:Tfr
    小学校の夏休みの時、クラスメイトで仲良しだったAちゃんがうちに泊まりに来た。
    その次の日お昼食べてそろそろAちゃんが帰るって時、Aちゃんの身内の誰だったかからうちに電話があり、
    Aちゃんのママが昨晩家の近所で自刹したのが見つかったとの電話だった。

    その後のAちゃんの号泣とか、うちの母のパニックとかもう色々なことがあったのだが、もう断片しか覚えてない。
    Aちゃんは一か月もしないうちに、母方の実家があるという東北に引っ越して行った。
    お別れに何か言ったりした記憶もない。お泊りの日以降学校でもうちでも会ってもいないと思う。

    当時、私も母もショックを受けてAちゃんの話はしなくなったんだけど、この連休に実家帰ったら母が急にAちゃんの話をし始めた。
    そもそもあの日Aちゃんがうちに泊まったのは、「用事があるから一日娘を泊めさせてほしい」とAちゃんママに頼まれたということ。
    ご近所だったAちゃんママと交友があり、Aちゃんママが旦那さんの酒癖や金使いや病気(躁病らしかった)に悩んで鬱気味だったこと。

    何で急にそんなAちゃんママの話を始めたんだと思ったら、母が最近たまたまテレビでAちゃんを見たとのことだった。
    震災を経験して家を無くしたりはしたけど、家族は無事で旦那さん子供に囲まれ何とか笑顔で暮らしてる様子だったという。

    「あの時Aちゃんを残していったAちゃんママに物凄く腹が立ったけど、せめて連れて行かずに残して行ったからAちゃんの今があるのよ。
    わかる?
    あんたもどうにもやるせない何かあっても、せめて孫ちゃんたちだけは置いて行きなさい!私まだ頑張れるから!」と母から言われた。

    別に家庭にも自分にも特に何も悩んでないのに、急にそんなこと言われたのもスレタイ。

    577 :ラブラドール速報 2015/12/26(土) 13:59:40 ID:Wkw
    幼稚園の時のこと
    クリスマスプレゼントに何をもらったか、一人ずつみんなの前で発表した
    ちょうどファミコンが流行っていたころで、男の子は「ゲーム」と答える子が多かったことを覚えている
    女の子はバービー人形とか、名前は忘れたけど当時人気だったミニチュアの動物の人形とか、やっぱり玩具系が多くて、他にはピアノとか、仔犬っていう子もいた
    私がその年にもらったのは、知らないアニメのキャラクターが付いたコップ(子どもが歯磨きとかに使うプラスチックのやつ)とハンカチ
    ちゃんと包装されてリボンも掛かっていて、朝、枕元で見つけた時は嬉しくて嬉しくて飛び上がって喜んだ
    けれど友だちが座席順に一人ずつ立ち上がって答えるのを聞いていたら、明らかに自分のプレゼントが他と比べて「見劣りする」というのが幼心に分かった
    自分の番が来て、私は小さな声で、なるべく早口で「コップとハンカチ」と呟いた
    「きこえなーい」と全く悪気のない声が飛んで、先生が「○○ちゃん、もう一回大きな声でお話しして」と言った
    早口で「コップとハンカチ」と繰り返すと、何人かが「なになに?」「コップとハンカチだってー」「えー」とすごく意外そうに話すのが聞こえた
    先生は一人ひとりに「どんなゲーム?」とか「それで誰と遊んだの?」とか聞いていたけれど、私には「よかったね」としか言わなかった

    当時は分からなかったけど、わが家はものすごく貧乏だった
    たぶん、親は旬の過ぎたキャラクターものが投げ売りされているのを買ったのだと思う
    自分はそんなこと考えもせず、プレゼントがもらえたことがひたすら嬉しくて、そのコップとハンカチをこの上なく素晴らしいものだと心から思っていた
    だから、友だちとの落差が悲しいというより、自分のプレゼントが友だちと比べてぱっとしない、恥ずかしいと感じてしまったことがすごくショックだった
    そして、うまく言えないのだけれど、自分が「友だちとの落差にショックを受けている」と思われるのがとても嫌だった
    この辺の感情を言語化できたのはもっと大きくなってからだ
    今でもクリスマスになるとふと思い出す

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