ラブラドール速報~生活・修羅場・鬼女まとめ~

#不倫#スカッと#サレ妻#昼顔#サレた側

    幼少期





    703: ↓名無しさん@おーぷん↓ 15/08/18(火)01:03:48 ID:bK1
    物心つく頃から男の子とばかり遊んでいた。
    女子は意地悪してくるけど、男の子は優しく話しかけてきてくれるから。
    「結婚して」「お嫁さんになって」と幼稚園の頃からよく言われていて、
    お花やオモチャやお菓子を毎日のように貰っていた。
    小学校にあがってからも対応は変わらずで、
    幼稚園のときみたいなベタベタしたスキンシップはなくなったけど、
    変顔で楽しませてくれたり、荷物を持ってくれたり、
    忘れ物を貸してくれたりと優しい男子が多くて、
    登下校、休み時間、校内外問わず男子とばかり遊んでいた。
    女子はというと、私が女子のグループに寄っていくと必ず嫌そうな顔をする子がいて、
    周りの女子達もその子に同調する感じで仲良くなれなかった。

    男友達は楽しく遊んでくれるから夏休みも一緒に宿題やったりしてた。

    それが女子達に気にくわなかったらしくて、トイレで囲まれて嫌みを言われた。
    「軽い」「男子とばかり喋っている」「自分を可愛いと思ってるんでしょ」「男好き」「忄生格が悪い」とか
    怒ったりにやついたりした顔の7、8人に囲まれて散々けなされた。
    大人数から敵意と悪意を剥き出しにされたことなんてなかったので泣いてたら、
    「それも可愛いと思って泣いてんでしょ!」「私にはぶりっ子通じないからね!」と怒鳴られた。
    授業時間に近づいたため解放されたけどクラスに戻れずにボーっとしていた。
    心配した男友達が先生をつれて探しにきてくれて、その日は早退した。

    家に帰ってから色々考えた。
    男子と遊ぶことの何が彼女達を怒らせたのか。
    優しい男子達が好きなことの何が悪いのか。
    自分が可愛いのは気づいていたけどそう思うことの何が他人に迷惑をかけるのか。
    関わったことがない女子達が私の忄生格の何を知ってるんだろう。
    怖いから泣いたのに、泣くとぶりっ子になるのか。





    50: おさかなくわえた名無しさん 2022/01/13(木) 18:24:49.01 ID:rG5sXMLX
    隣の家を火事にしかけた 
    うちにあった缶に入っていた水に火つけたら燃えたので 
    どこまで伸ばせるか試していたら水かけても消せなくなった 
    自然に消えるまでほっといたが 
    基礎の部分に煤がついたのを
    不審に考えた隣の人が家に来て話し込んでいた
    水の量が多かったら大火事間違い無かったな 
    その時4歳だったか





    1:以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします2019/03/14(木) 10:18:36 ID:cgC7Advda
    両親が仕送りして欲しいというので、
    ガキの頃暴力ふるわれた分まとめてビンタさせてくれるならいいよって言ったら
    快諾した 

    とりあえずさっき1発ビンタしたけど気持ち良すぎwww
    もう顔腫れてやんのwww






    951 :ラブラドール速報 2016/10/22(土) 15:36:31 ID:Iix
    ふと思い出したので投下

    自分の話だけど、物心ついた時には叔母の家で生活していた。
    実母の妹にあたる人で、叔母さんはいつも優しかったけど叔母さんの旦那さんや
    実子は冷たくて、邪魔者扱いされて寂しくて悲しかったのをよく覚えてる。
    遊びに行ったり、外食にも連れて行って貰えず1人で誰もいない家に居ることもあった。
    泣いていると叔母さんがいつもカルピスを作ってくれた。
    時々玄関先に2人組が来て話し込んでいることがあって、その時は絶対玄関の方にいっちゃいけないと
    聞かされていた。
    今思えばきっとそれが両親だったのかなと思う。そんな生活が3年ぐらい。
    小学校入学と同時に両親だと言う人と一緒に暮らす事になり、家に連れていかれたら
    妹と弟だという双子の赤ちゃんがいた。
    戸惑ったけど、実の両親は優しかったし叔母さんの家にいるよりは何倍もマシだったから
    それなりに幸せに生きてた。
    なんとなく自分を叔母さんのところに預けていた理由は聞けなかった。
    叔母さんの家は遠かったので、それから叔母さんと直接会うことはなかった。

    私が結婚することになり、それを機に思いきって幼少時に預けていたことについて聞いてみた。
    実の両親はキョトンとして「預けた事なんてない、むしろお前は叔母さんに会ったこともないはずだ」
    両親が出してきたアルバムを見せてもらったけど確かに、叔母さんの家に預けられているはずの年齢の自分が
    家の庭で遊んでたり、親に抱っこされている写真がいっぱいあった。
    叔母さんの写真も見せてもらったけど、叔母さんの顔は確かに私の知ってる叔母さんだった。

    よく分からなくてそれからしばらく悩んだけど、いつの間にか忘れていた。
    今思い出しても不思議です。
    分かりづらかったらごめんなさい。





    357 :名無しさん 2011/07/30(土) 15:41:02 0
    嫁の修羅場。

    小学校から帰ってきたら、知らない男が家にいた。
    嫁は怖くて自分の部屋に隠れてた。
    帰ってきた両親は男にペコペコして、ごちそうを食べさせ、
    酒を注いだり、お世辞を言ったり、世話をしたりする。
    嫁も呼ばれて、男の世話をさせられた。

    そのまま男は家に居座り続けて、何日経っても帰らない。
    次第に男は嫁一家に暴力を振るいだしたり、
    物やお金を取り上げたりするようになったけど、両親は完全に言いなり。

    一ヶ月ぐらいしたら帰ったけど、その後も男が家に数週間から数ヶ月滞在したり、両親が呼び出し受けたりしてた。
    一家で旅行にいく時は必ず男がついてきてたし、
    男が買い物に行く時に嫁や両親がお金を払わされたり荷物持ちさせられたりもしてたそう





    571 :名無しさん@おーぷん
    私が5歳の頃まで祖父母が健在
    その祖父母の家の隣に住んでた家族に女、女、男の三姉弟がいた
    私の記憶には上の姉妹しかいなかったんだけど、その姉妹の妹のほうに執拗にいじめられていた
    もう20年は前の記憶だからほんとうに曖昧なんだけど、妹は私より年上で、とても綺麗な能面のような表情が張り付いていた
    彼女はまだ3歳かそこらの私を遊びに誘っては、私がタヒんでもおかしくないようなことを繰り返した
    ジャングルジムのてっぺんに登らせて両手を離して立たせたり(鉄にぶつかりながら落ちた)
    鉄棒の上に立てと言われたり(顔面から落ちた)
    滑り台の上から飛び降りろと言ったり(突き落とされた)
    知らない道に連れて行って放置したり(教会の十字架を目印に帰ってこれた)
    漕いだブランコから飛び降りろと言ったり(頭かち割れて大流血した)
    すべて両親共働きで祖母に預けられている間のこと
    妹の方はなぜか周りからイイ子として扱われており、私がこんな大怪我をしても誰もそいつが犯人だとは思わなかった
    私は怪我をさせられるたびこっぴどく周りから叱られることが続いた
    妹のほうがやったと言っても、叱られたくなくて人のせいにしてると思われてた
    今でも当時負った傷の跡が残っている
    相当ひどい怪我だった
    心の中では「なんであの根性.悪の妹を大人たちは可愛がるの」と思いながら、常に妹の方に恐怖していた

    大人になり、ふとその時の話を思い出して母にした
    すると私の知らない真相を母が知っており、母の知らない真相(上記)を私が知っていることが判明

    母によると、私が恐怖し恐れていた妹は「全く笑うことのできない」子供だった
    原因は母親の愛情不足
    顔の表情が一切変わらなくなったことも、母親は幼稚園の先生に指摘されるまで気づかないほど放置されていた
    表情が消えてから数年経っても改善しなかった
    しかも妹のほうは大人の前ではまるで気弱で内気な女の子のように、物陰に隠れ、一言も発せず、大人の言うことに小さく首を動かすことしかしなかったそうだ
    大人からはとてもか弱く儚い少女に見えていた
    私の知っている人物像とはまるで違う
    私の知る妹は、能面の顔で残酷なことを告げ、多弁で罵り、従わなければ暴力、時に崖から突き落とすような真似を簡単にする人だった

    母には「なんでその時言わなかったの」と言われたが、まだその時私は3歳か4歳
    弁の立つ年上の妹の言い分は私の言い分より理路整然としていて説得力があり、泣きじゃくりうまく喋れない私が真実を話す前に周りの大人たちは妹の言うことから偽の事実を予想しそれを信じ込んだ
    「遊びたくないといえばいいじゃない」と言われたが、面倒見のいい優しい妹と評判だった彼女の遊びの誘いを断るのは子供の立場からして辛いものがあった
    子供は扱える言葉数が少ない分、自分でも不思議なくらい空気を読む
    残酷な妹が面倒見のいい女の子、私が手のかかるグズな子と大人が見ていれば、私は大人の当てはめた役を演じるほかなかった
    私が大人の作った役から外れれば、大人が困るということを3歳にしてなんとなく理解していた
    大好きな祖父母も母も困らせたくはなかった

    今思えば妹にとって私は唯一のストレス発散の相手だったのかもしれない
    母によると、私が幼稚園に行ける年齢となり、遊ばなくなってから、より症状が悪化したようだ
    本当は私が週に一回も母に会えず、夜に寂しくて泣いていることも知らず
    母と私が楽しく縁側で談笑している姿を見ては、私に嫉妬してか、私を遊びに誘い、母の目がなくなった隙に大怪我をさせられていた

    私は妹から執拗にいじめられていた理由が分かったし、母は私がなぜこうも大怪我を繰り返していたのかの真相が判明したが、お互い残ったのはその妹がどうなったのかという心のシコリだけだった
    母も私も忘れたままでいたほうがよかったのかもしれない





    286:名無しさん@おーぷん2014/08/21(木)09:54:42ID:87ZT0YbL2

    5歳の時母親が突然いなくなり入院したと聞かされていたんだが
    半年くらいして「お母さんが帰ってくるよ!」と言われ大喜びで待ってたら
    知らない女の人が「○○ちゃん(俺の名前)!」と抱きついてきた
    突然のことに硬直している俺をよそに父も同居の祖母も「よかったねー」とニコニコ
    俺はこれはお母さんじゃない!と訴えるも子どもだからうまく説明できず最後は号泣
    父と祖母は久しぶりだからね~病気でやせちゃって雰囲気も変わったから分かんなくなっちゃったかな?とのんきなこと言ってるし
    母を名乗る女性.は少しずつ慣れてくれたらいいよ、と少し寂しそうな感じ
    最初はその人が母と入れ替わったような気がして始終ものすごい恐怖に襲われていた
    何せ子どもなのでそのうち新しい母親にもそれなりに慣れていったが
    でも違和感はずっと消えず自分がおかしいのかと時々考えていた

    で、結論から言うと本当に入れ替わってましたよ母親
    実母が離婚して出て行き別の女性.と父が再婚
    子どもだから実母だと思い込ませられるだろう、その方が新しい家庭もスムーズにいくだろうという浅はかな考えで
    俺にトラウマを植え付けてくれた
    ネタバレの後、実母は浮気して出て行った、新しい女とは実母と別れた後に付き合い始めたと説明されたが
    正直こいつらの言うことは何一つ信用できないと思ってしまったわ





    701:名無しの心子知らず2006/10/04(水) 16:24:21 ID:Remj6dCd
    実家は兄夫婦が同居。は年の近い姪の相手をよくした。
    ある日、幼稚園のお友達の家から帰った姪が、オモチャの電子手帳で遊んでいた。

    誕生日が近いから買ってもらったのかと思い、一緒に占いなどしていたけれど、
    日記の機能を見せてもらうと既に数ヵ月分書いてあり、
    『よるにもらったかも(鴨?)のおにくたべた。おいシー』など心あたりのない内容ばかり。

    『姪ちゃん、これ書いた?』ときくと
    『ううん、〇〇ちゃん家ってすごいね』という答え。
    しかも
    『ママ(兄嫁)がいいって言うから持ってきた』と。
    高価なものだし、すぐ兄嫁に確認すると
    『あー、あの家はお金あるから山ほどあるオモチャが一つくらい減っても大丈夫』
    と平然としている。
    姪には
    『ママだけ良くてもそれはダメ』と教え、翌日返させたけど子供心に何か怖かった。

    私が高校生になると服の裾を勝手に姪サイズに切られたり、
    化粧品を盗られたりしたので地元の大学に入ったけどバイトをして家を出た。





    554 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/2017/02/28(火) 03:06:16.99ID:kBY58PZT.net
    自分がまだ幼稚園児だった頃のこと

    私の記憶は、夜寝ていたときに突然誰かに足を踏まれ、痛くて起きてぎゃーぎゃー泣いたことと、誰かが誰かに殴りかかっている姿をぼんやり覚えている程度
    しかし、大きくなってから父になにかの流れでその話をすると、全く知らなかった真相を聞かされた
    殴りかかっていたのは父で、その相手は母の妹である叔母だった
    叔母は私と弟2人を寝かしつけ、一緒に寝てしまったたところを、父が母と勘違いし思わず殴ってしまったそうだ
    父は飲み会帰りでかなり酔っていたことと、母の不倫に気づき悩んでいたことが重なって、そういう行動に出てしまったらしい
    ちなみに母はそのとき、叔母に私達兄弟を預けて不倫相手に会いに行っていたんだと…
    よく見もせずに酔った勢いで人を殴る父も父だし、母の不倫を知っていながら黙って私達を預かって、結果的に不倫の手助けをしていた叔母も叔母だし、そもそも不倫なんかする母も母だ

    そんなことが自分の家で起こっていたことも衝撃だったし、幼かったとはいえ自分がほとんど何も覚えていないことも衝撃だった





    283 :名無しさん@おーぷん
    秋のよく晴れた日になると思い出す。

    3歳の秋の日、母が朝からおにぎりを作ってくれて、「お出かけしよう」と言って電車に乗って遠くに行った。
    行き先は山も海も見える田舎町だった。
    真っ白い堤防のようなところで、母がベンチに座らせて、「ちょっとお母さん飲み物買ってくるから待っててね」と言った。
    ベンチにお弁当と水筒と上着を置いた。

    「わかった、ママありがとう。バイバイね」と言ったら、母は顔をそむけて走るように去って行った。
    私はぼんやり座ってた。山はまだらに赤くて、空にはトンビが飛んでた。
    しばらくして母は戻って来て、無言で一緒に弁当を食べて家に戻った。

    成人して家を出て行くという日に、母はあの日の話をして、「あなたを捨てようとしてごめんなさい」と詫びた。
    私は当時気付いてなかったふりをしたけど、勿論気付いてた。
    それどころか、母があんまりに私の存在を疎んでるのを知ってて、大好きな母が楽になるならそれでいいと思ってた。
    寂しいけどこれもしょうがないことなのだな、と。
    捨てられた私は次はどこに行くんだろうとボンヤリ考えてた。

    去年結婚して、結婚式には両親も出席した。
    私を捨てようとした母と、他人にむやみに金貸すのが趣味で散々妻子を苦しめた父。
    私も順調なら年末に初めて親になる。
    出来れば良い親になりたい。

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