他界





    26:名無しさん@HOME2011/01/30(日) 21:28:36 0
    長文です。

    当時、私はエスカレーターで大学まで行ける学校の生徒だった。
    父は、仕事は自営の資格商売をしていて、趣味人だということは知っていた。
    収入は結構あったようだ。子供の頃、不自由をした記憶はない。
    朝早くに出勤する父は、夜は早めに帰宅し、夕食は必ず私と母と3人で採っていた。それは、母との約束だったらしい。
    親子の団欒と言えば夕食だけで、父は土日もろくに家にいることはなく、家にいる時は書斎に篭ってなにやらしていた。
    その筋では有名なマニアというか、市井の研究者だったらしい。
    時々、父の友人という人達が訪れて酒盛りをしていた。
    よく、私と母に手土産と言って、珍しい菓子や珍味をくれたのも覚えている。





    179:長文すまん投稿日:2013/06/14(金) 20:19:21.47
    俺は45歳
    30歳の時、ひとつ年下の嫁を貰った
    娘が3人と息子が1人いる
    長女は19歳、次女は17歳、三女が12歳
    長男は10歳

    こういうと長女と次女は嫁の連れ子?といわれるが、違う、そうじゃない
    長女と次女は俺とは血が繋がっている
    しかし、俺の子ではない

    俺には3歳年上の姉が居た
    姉は25歳で結婚、二女を設けた
    しかし、ダンナが夢多き男でデザイナーだとか今度は設計事務所だとか
    最後は議員になると選挙にまで立候補した
    しかし、いずれも当たらず・・・

    借金をして、その借金の工面に俺の姉も一緒に働き、飛び回っていた。

    そんなある日・・・

    姉夫婦が深夜のコンビニでのバイトを終え
    車で帰宅途中、酔っ払い運転の車にぶつけられた
    2人は帰らぬ人となった

    最初は何がなんだか分からなかった

    当時結婚したばかりだった俺は人生って上手くいかねぇなとか
    神様って本当に居ないんだなとかそんなことばっかり考えてた





    474:逃げ ◆ox9KD6nGJQ2012/03/25(日) 02:27:48.37 0

    分かりにくかったらごめん。

    私が中学生の時、妊婦だった母と買い物に行った。
    久しぶりの買い物で和気藹々としてたんだけど、
    私がちょっと目を離した間に母の体が吹っ飛んだ。

    私の視点からでは曖昧なんだけど、警察から聞くには、
    車椅子に乗った小さい男の子が、急に車の前に飛び出してきたため母がその子を逃がすために飛び出たらしい。
    母が突き飛ばした子供は無事で、母は子供を庇ったために即タヒした。もちろん腹の中にいた赤ちゃんも。

    父と母はラブラブだったので、まず最初に父が狂った。泣いて、母のそばを離れなかった。
    小学生になる妹は泣きじゃくって、私にすがりついた。

    目の前で母にタヒなれた私は、親戚の目も同情の言葉も責められてるように感じて、精神的に修羅場。
    けど父は狂ってるし、妹は面倒みてなきゃだし、私まで泣いたら終わる気がして最優先で走り回った。葬式とか。
    祖父母は手助けはしてくれたけど裕福ではなかったので、特に援助とかはなかった。

    とりあえず葬式の事務的なことは私が担当して、父には喪主として出てもらった。
    葬式には別々で「事故を起こした運転手」と「母がかばった子供一家」が来た。
    「運転手」は土下座で謝り、保険だけでなく一生をかけて償う、と言ってきた。私はなにも言えなかった。





    877:名無しさん@HOME2017/03/09(木) 08:51:24.72 0
    今妊娠中で先月子供が男の子とわかった。
    義母と電話しているときに、男の子だと告げた。
    数日後義兄嫁から
    「(亡くなった)うちの子のものが全部取ってあるからそれを使って。」
    と訪問してきた。

    義兄夫婦の子供は三歳の時に事故で亡くなってる。
    それから義兄嫁は
    亡くなった子が生きていたらこの年でこれがいるというもの
    (七五三の羽織袴、ランドセルと学習机、年齢に合わせた洋服と靴)
    を購入している。
    それをうちの子に全て譲ると言いに来た。

    義兄嫁は亡くなった子が生まれた後に手術してもう子供は望めない。
    なんだか子供を取られるようで断った。
    断ったら泣きながら帰った。
    その後「貰うぐらいいいじゃないか思いやりがない。」
    と義兄と義母から叱られた。

    旦那は私が「取られそう。」というと「考えすぎ。」と笑う。
    もう誰も味方がいない。

    義兄嫁から長文のメールが来て
    「私は育児の先輩。わからないことは私が教えてあげる。
    実家に里帰り出産はやめて。私が面倒見てあげる。」
    という趣旨だった。
    これを旦那に見せても「優しい人じゃないか。」だと。

    産婦人科で紹介状ももらった。貴重品含む荷物も実家に送った。
    スマホも新規を買った。
    使っていた方には義兄嫁から何十通もメールが来ているので
    証拠のために持ち帰りますが、ストレスのために見ません。

    これから新幹線で実家に帰ります。
    私の愚痴吐きのためにここに記します。

    最後に真っ黒な事書いて行きます。
    亡くなった子は義兄嫁のせいで亡くなってます。
    ちゃんと自分の子を面倒見れない人に私の子を触らせたくないです。





    221:名無しさん@HOME2013/05/26(日) 21:25:26.74 O
    結婚と同時になぜかウトメと同居することに。
    嫁いびりされて2ヶ月後、ウトメが交通事故でタヒ亡。
    半年後に嫁いびりを黙認してた旦那も不慮の事故でタヒ亡。
    離婚のための証拠集めしてたのに無駄になった。
    かわりに多額の保険金が手に入った。
    葬式のときに「まああの人達(ウトメと旦那)だしねぇ…」
    「上手いことやったわね」「ほんとに事故かしら」
    と親戚やウトメ知り合いや旦那の知り合いコにソコソ言われ続けた。

    家も全て売却して引っ越しました。





    821 :名無しさん@おーぷん
    彼氏とは21歳で付きあい始めた。当時向こうのご両親は優しかった。
    24歳の時、私の父が他界した。
    それをきっかけに向こうのご両親の態度が変わっていき、彼も感化されて横柄になっていった。
    ある時「そっちの方が片親で条件悪いんだからさ」と
    半笑いではっきり言われ、冷めて別れた。
    別れる時、理由は告げた。
    彼は「そんな事くらいで俺を嫌いになるわけ?」となぜか泣いていた。

    ここまでが6年前の話。
    元彼から「母が亡くなりました。君の気持ちがようやくわかった」とメールが来た。
    父親ががっつり老けこんじゃって、家事が大変で、父の愚痴がうざくて外食続きです。
    このままじゃ俺、体壊しちゃうよ、だそうだ。
    「俺がもし心も体も病んでしまったら、君を幸せにすることもできない」

    いやしてもらわんでいいし。
    察してちゃんな文面もうざいが、元彼の家にこっちが行く前提なのもうざい





    68:名無しさん@おーぷん2017/05/05(金)12:01:10ID:Bj6
    姑が先日他界した
    12年前に事故で頭を打って重い後遺症が残っていた姑
    事故の後に夫から、転勤の願いを出して義弟と協力して
    姑を支えたいと言われたけど断った
    その結果相続が、夫2:義弟8になった
    事故の賠償金等も有り遺産1.5億位、それを2:8
    夫の性.格から、夫は相続放棄する位の事を言ったんだと思う
    そんな夫もどうかと思うし、
    2:8なんて片寄った分配で納める義弟もどうかと思う

    夫に言ったら離婚問題にも成りかねない位怒ると思うので
    止まらないもやもやをここで愚痴





    270 :名無しさん@おーぷん2018/04/27(金) 11:55:55ID:cRb
    リアルじゃ言えないので愚痴らせて。
    父が一昨年亡くなった。交通事故で自損。完全に父の過失。他人をまきぞえにしなかったのが救い。
    父は穏やかで楽しい人で大好きだった。半年以上父のタヒをひきずった。
    母は私が子供の頃からヒスだった。
    でも今の母は別人だ。
    釣りあがってた眉と目が下がってむしろタレ目っぽくなった。
    太った。庭の手入れや、かわいい食器を集めるようになった。
    タレ目でぽっちゃりして食器にうきうきしてる母を見ると「誰?」って思う。
    父の存在が母にはストレスだったんだろうね。それはわかる。
    父は楽しいけど子供っぽい人だった。
    運転もするなって禁止されてた。事故ばっかり起こすから。タヒんだ日は隠してたキーを見つけてこっそり競馬に行こうとして、事故った。
    お金があるだけ使っちゃう人で、目の前に楽しいことがあると我慢できなくていつまでも小学生男子みたいな人だった。
    でも私は父が好きだったからガミガミ言う母が嫌いだった。
    母が怒って、私が泣いて、父が茶化して助けてくれて終わりが我が家のパターンだった。
    父がいなくなって穏やかになっていく母がイヤだったし
    母の気持ちもわかるーなんてどっかで思ってる自分もイヤだった。
    父の遺品を整理した。そしたら父浮気してた。
    父を好きって気持ちがスーっと半分以上消えた。
    私が子供のころから思ってた「おとーさん好き」ってなんだったんだろう。自分に都合のいい父だったから好きだったのかな。
    自己嫌悪とか父に対する思いとかグチャグチャで整理がつかない。浮気の証拠は捨てた。





    68 :2014/08/22(金) 17:47:46ID:???
    私は両親が早くに離婚して(父不倫)母親に育てられたんだけど、母親も乳癌で
    私が大学3年の年に他界してしまった。

    社会人になってアパートで独り暮らしをスタートさせた時に、マンション用らしい
    小さな仏壇を買って位牌と小さな写真を収めた。

    初めて出来た恋人をいよいよ部屋に呼んだとき、その人に「うわー引くわー仏壇あるなんてありえねー、寺かよ気持ち悪い」
    と散々言われ、「仏壇閉めておけばよかったね、ゴメンね」と私も謝りながらも、なんでこんな謝ってんの私と思い始め、
    色々言訳して彼を追い出して、間もなく別れた。

    しばらく男性.に懲りた後、やっと次に出来た恋人をかなり付き合ってから部屋に呼んだときは、「ごめんね、お仏壇閉める
    からね」とつい謝ったのだが、彼は「え、ちょっと待って」と言うと、お仏壇の前に座って手を合わせて、
    「○○と申します。初めてご挨拶するのに酒臭くて申し訳ありません。○○さんとは仲良くさせていただいてます。どうぞ今後とも
    宜しくお願いいたします」と言った。

    この人とは長い付き合いになるだろう、と思った。
    結婚までするとは思わなかったが。

    恋人以外に女友達を何人か部屋に呼んだこともあったけど、長い付き合いにな
    った子は、やはり酔ってても仏壇に挨拶してくれた子だった。
    「気持ち悪いから片づけて」とか、「仏壇には霊が憑きやすいんだって」とか訳わからないこと
    言ったりする人とはすぐ疎遠になった。

    母が鬼籍に入った時、「これからは一人で頑張るんだ」と思ったけど、一人ではなか
    ったのかもしれないなー、いつも母が見守ってたのかもなーと今は思う。





    479 :名無しさん@おーぷん
    無人のようなのでまったり書き込みます。

    高校生のとき、ひと月の間に両親を相次いで亡くして喪主二回やったのが修羅場。

    母親は先天的な心臓の欠陥からくる虚弱で、入退院を繰り返している人だった。
    普通のサラリーマン家庭で育ったが、友達のように「じーちゃん」と「ばーちゃん」はいなかった。

    推薦で大学が決まってボチボチ車の免許を取ろうとしていた時期に父が車の事故で他界した。
    訃報を聞くなり母が卒倒。救急車で病院に運ばれそのまま入院した。
    「祖父母」という存在がいなかったように、「親戚」もいなかったから自動的に喪主をやることに。

    父の勤め先をはじめとした周辺への連絡、火葬の許可など、何から着手していいのかわからないままご近所さんたちの知恵と手を借りてどうにか通夜にこぎつけた。
    喪主の席で坊さんの背中を見ながら思ったのは、「坊さんもタダじゃ経をあげてくれないんだなー」ということ。

    預金の名義が父になっていたことから、父が亡くなったことで凍結。
    相続の手続(?)が住むまで下せなくなっていて、葬式代の工面に大わらわした。
    (大学進学を機に一人暮らしする予定だったので、両親があらかじめ私名義で積立をしてくれていたので、そこから支払った)

    ここまでが第一の修羅場。

    このページのトップヘ