いい話





    26 :可愛い奥様2006/11/22(水) 03:53:48ID:EXXtsKAU
    昔の自分の事なんだけど、

    私が大学受験を控えてた頃、
    フリーターでポテチを食いながらゲームをするデブな兄を見て
    「あんたは楽でいいよね」と罵ってた。
    良い大学に合格した私。
    いい気になってたけど大学中退。
    フリータになった。
    兄の立場になって兄の痛みがわかった。
    全然楽なんかじゃなかった。

    兄は公務員試験を受けて今は安定した生活をしている。
    貧乏な私にたまにくれるおこずかいに泣きそうになった事があった。
    兄を罵った事をすごく後悔してるよ…。





    333:名無しさん2017/12/07(木) 14:55:39.24 0
    私の親は毒で、姉と私を差別した
    姉は典型的な愛玩子にならず、私をすごく庇ってくれたし
    優しくて自慢の姉

    だけど、耐えられなくてぐれた
    高校時代なんて学費だしてくれてたのは叔父叔母だしで家に帰らず、やんちゃ()な友達とたまったりして、
    男女混合だけど暴_力とか性.的なこととかはなかった。

    久々に家に帰ると連絡したら、姉に泣きながら断られた
    理由も言わない、両親は不在のはずなのに断る理由もわからず
    何だか嫌な予感がしたら、家の前にキモい男が張り付いてた。
    女物の服来て、レギンスなんだけど中に下着はいてないっぽくて、相当あせってすぐに通報した。
    結果それはス㋣ーカーで、
    姉は私がシスコン気味なのも知ってるから、ス㋣ーカーに気づいたら私がコロ害してしまうと本気で思ったらしい。

    暴_力なんかしないよって言ったら、そうだよね、でも、(私)剣道やってたから!万が一あんなキモブサのために(私)の人生狂ったら、って泣かれた。
    私も泣いた。





    688:本当にあった怖い名無し2013/10/19(土) 13:27:43ID:y5qMx/lL0

    施設で育った俺は小さいときから親無しだとバカにされてきた。
    高校に上がってからは自立し、奨学金借りたし他に借金もしたが何とか大学まで卒業できた。
    就職して数年し、借金も返しようやく人並みな生活ができるようになったが、俺はずっと施設を怨んでいた。
    施設育ちじゃなければ俺はもっとまともな生活を送れた筈だ。
    俺は施設にずっと復讐を考えていた。そしてこの前ついにやってやったよ。



    一輪車とサッカーボールを無理矢理押し付けてやったwwww
    中古だが児童書を段ボール一杯に送りつけてやったwwww
    さらにガキ共と一日中泥まみれになるまで遊んでやったわwwwwww

    ついでに「結婚するから式に父として出てくれ」って言って園長泣かしてやったぜ!ざまぁwwww
    おい!!ジジイ!!!俺の彼女の手を取って「(俺)君を宜しくお願いします」
    とかうっせーこと言ってんだよ!!!セク八ラだろwwww
    彼女も何で泣きながら「不束な娘ですがよろしくおねがいします」とか言ってんだよ!!!
    落ち着けそれはお前が言うことじゃねーだろ馬鹿野郎wwwwww

    はい。





    314:名無しさん@お腹いっぱい。2007/08/12(日) 16:17:57
    なんかネタがないみたいだからさ。

    実は俺の嫁も昔、不倫しててね。
    修羅場になって、関係者全員不幸になった。
    何もかも捨てて間のところに行く、って口走ったんで
    離婚しても親権ではもめなかったな。
    幸い、俺の両親、商売をたたんだばっかりだったので、呼び寄せて
    なんとか生活は軌道に乗った。

    嫁、案の定間男から、遊びでした、あなたとは一緒になれません、なんて言われて
    実家からも半勘当状態。
    嫁の兄嫁にうまく取り入って兄貴のところに転がり込んだものの、長続きするわけもなく。
    しばらく消息も途絶えてた。

    ところが3年位して、俺の祖父が大往生を遂げたとき、ひょっこり葬式にやってきた。
    それも、こそこそ、おどおど、挙動不審で、隠れてるつもりみたいだけど逆に目立ってて。
    ところがその姿が、俺には凄く懐かしくて。

    昔、手違いで、会社の方の葬儀に、俺と嫁が別々に出たことがあって、その時の様子そのままなのな。
    後ろから忍び寄って、ポンと肩叩いてやったときの、驚きとも安堵ともつかぬ表情まで一緒で。
    そこから泣き出しちゃったんだけど、事情を知ってる親戚が、親族控え室の一角に連れて行ってくれて、
    ゆっくり話しな、って。





    339 :鬼女日記2014/05/14(水) 12:16:17
    誰もいなそうだから勝手に書く。
    俺は再婚。嫁は初婚。

    俺の一回目の結婚は出来婚だった。
    二十歳そこそこの時に7つ年上の元同僚となんとなくで付き合ってるうちに出来ちゃってそのまま結婚。
    正直愛があったかと聞かれるとなかった。でも、子供をおろさせる気もなかったので責任とって結婚。
    元々ぷらぷらフリーターしてた身だったから、元嫁の親から同居を結婚の条件に出された。
    それから1、2年は穏やかに暮らしてたと思う。
    しばらくして、子供のためにとにかく金が欲しくて、でも所詮学歴も職歴もない俺は肉体労働するしか道がなかった。
    考えた末、近県の寮付き三交代の工場で二交代分働いた。
    昼と夜の仕事時間に働いて朝の時間帯に寝るって生活な。二人分だから底辺工場でも結構稼げたよ。
    寮費と工場に備え付けの食堂で食べる飯代以外は全部仕送りした。今考えるとよくやってたなと思う。
    そんな生活を一年続け、一年ぶりに家族に会いに家に帰った(帰省代をケチって帰ってなかった)。
    元嫁妊娠してた。





    524 :鬼女日記2016/01/09(土) 15:48:24ID:XuN
    一週間くらい前に何か旦那宛にDVDが届いてた。
    大人のビデオかな?って少し気になったけど、気が付かなかったふりして放置してた。
    そしたらおとといの夜中にリビングで物音がしたから、見てるな!ってびーんと来て、脅かしてやろうと思ってリビングに行くと、
    「家事に疲れた女性.ためのマッサージ」
    みたいな、肩こりとかのマッサージのための解説DVDでした…
    何だかすごく申し訳なかった…
    あと昨日マッサージはしてもらいましたが、すごく気持ちよかったです…





    922 :おさかなくわえた名無しさん@\(^o^)/2017/03/25(土) 15:36:45.47ID:1vt8MRgl.net
    俺の修羅場書いてもいい?
    じゃ書く
    長いので小分け

    今となれば笑えるけど、当時はみんなそれぞれ悩んだ家族の修羅場

    産みの母は、俺を生んでタヒんだ。
    心臓周りの血管に元々持病があったらしい。だから、俺は産みの母を知らない。
    産みの母がタヒんで、俺を育てるのに必タヒだった親父をすぐに助けたのが、二つ下で父の幼なじみだった養母(以後母と)
    ちょうど、母にも子供(姉貴)がいて、丁度いいからと面倒を見てくれた。そっちの父とは離婚したそうだ。理由は知らん。教えてくれない。
    そこで色々あって、俺が3つの時に再婚、四人家族になった。まあ、父方の祖父母曰く、収まるところに収まったんじゃろ、とのこと。(別に産みの母を嫌っている訳では無い。むしろ褒めていた。)
    ところが、小4の時に、親父がタヒんだ。
    心臓だった。めちゃくちゃ朝早いはずの親父が朝起きて来なくて、そのまま冷たくなってた。
    俺も、姉貴も、タヒぬほど泣いた。

    両親の祖父母の手助けで生きていたが、中学2年の時に、母が再婚した。同じように嫁さんを病気で無くした、近くの大きな鉄工所のオーナーだった。親父と、そんなに年変わんないんだ。
    そこにも、弟と妹がいた。というか、姉貴→妹繋がりで知り合って、再婚、となった。

    ここでまず、俺の脳内修羅場発生。
    「血が繋がった人がいなくなった。」

    この修羅場が表に出たのが、俺の大学受験のとき。
    父の意向で高校、大学、院までぶっ続けで行ける技術系の学園にいたんだけど、ある日父に
    「お前、大学どうする?受験?エスカレーター?」
    って言われて
    「受験はしません。エスカレーターもしません。就職して、家を出ます。これ以上、迷惑はかけられません。俺は、あなた方と血が繋がってないんです」
    って返した。返してしまった。
    自分でも、やっちまったな、とは思ったわ。でも、しょうがないじゃん。技術系の大学の学費、私立たけーんだって。年間、基本で150行くんだぞ。追加で色々発生するし。で、弟妹もいるしな。
    無論、タヒんだ父母の保険金や、既に亡くなってる父方祖母の保険金やらで俺ひとりでも賄えない事は無い。盛大にお釣りが来る。でも、多分、親父はそれを使うことを許さない、そういう人だ。分かってたから、そう言った。家を出ますってね。ぶった斬るならここしかない、って。





    545 :鬼女日記2016/05/14(土) 13:51:11ID:FKK
    まだ結婚して間もない頃。

    毎年夏と年末年始に主人の実家に帰るのですが、(高速使って三時間の距離)ある年の年末、いつものように恒例のすき焼きを食べながら、お酒も入り、楽しくやっていました。

    私は普段家ではお酒はのみませんが、居酒屋とか飲み会等になると、普通に飲んでいたのですが、子供が産まれ、退職すると、そんな機会は減っていました。





    406 :鬼女日記2015/06/23(火) 11:41:54ID:oby

    私はいわゆる放置子だった。
    お父さんは気が付いたらいなくなってて、お母さんとふたりで暮らしていた。
    お母さんはだいたいいつもお酒臭くて、ときどき男の人を連れて帰ってきた。
    男の人が来ているときは、雨でも夜中でも外に出されてつらいけど、
    その後は、しばらくお母さんの機嫌が良くなるから助かってた。

    小学三年生の冬、お母さんに彼氏ができた。
    今までの男の人と違って、家に何回も出入りして、いる時間も長かった。
    外に出される時間が多くなって、とても困った。

    子供がいていい場所って案外ないんだよ。
    特に夜中だと、すぐに大人に声をかけられて
    「おうちは?おとなの人は一緒じゃないの?」
    って聞かれる。最悪保護されて家に連絡される。
    そうするとお母さんがとっても怒って三日くらい怖い。

    結局、公園のすべりだいの中が夜中の居場所になった。
    風がよけれて、人目につかなくて、トイレもある。
    家を出されるときにちゃんと毛布と手袋を持っていくのがコツ。
    できたら、なにかお菓子やパンをもらって出ていく。
    ちょっとづつかじって食べると時間がつぶれて楽。

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